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双極性障害Ⅱ型。只今リハビリ出勤中。まずはカテゴリから「双極性障害と診断されるまで」を読まれることをおすすめします。

双極性の物書き

 最近、狂ったように文章を書いている。躁ではないと思う(夫談)。まあ、寝食は忘れていないし、最低限だが家事もやっているし、趣味に没頭しているだけのことと考えている。

 私は別の名義で、SFやら恋愛小説やらをネットに投稿している。なぜ別名義かというと、物書きとしての私と、双極性障害である私とを紐づけたくなかったのだ。

 しかし、とあるエッセイを読んで、公表しても良いのではないかと思うようになった。そのエッセイは、実際にデビューした作家さんのもので、作家としての苦悩の他に、双極性障害としての苦しみがつづられていた。それでも彼は書くことをやめず、今も新しい作品を投稿し続けている。勇気づけられた。

 ちょうど、私が復職する前日に、連載中の小説の投稿が終わる(予約投稿といって、一日一話ずつといったように、投稿できる機能がある)。その後、読者さんには病気のことを打ち明けるつもりだ。

母とチョコレート

 はてなから通知が来たので、何事かいなと見てみると、「月のPVが100を超えました」とあった。実はあたしはアクセス解析をほとんど見ていなくて、今さらながらに沢山の人に読んで頂いていることを自覚したわけだが、そのほとんどがツイッターからの来訪者さんであった。フォロワーの皆さん、ありがとうございます。

 さて、最近のあたしの調子だが、鬱ではないが外出はさほどできていない、といった状況である。当初12月だった復職が1月になり、それがさらに3月にまで延びてしまったということで、中だるみになってしまったのだろうとH先生。ジムも週に何度も行かずに二回くらいではどうですか、と。このところ、趣味の小説ばかり書いているので、そろそろ運動したいところなのだが、今日現在実行できていない。だって寒いし。

 ところで、一昨日は母とデパートの催事場へ行った。チョコレートを見に行くためだ。乳がんの母は放射線治療の帰りで、「何か楽しいことでもないとやってらんない」ため、娘のあたしを呼び出したのであった。あたしとしても、外出する機会ができて嬉しい限りである。

 水曜日ということもあり、催事場は割と空いていた。まずはぐるりと一周、試食をぱくぱく。どこのチョコレートもそれぞれに特徴があり美味しい。あたしと母は、フーシェ・オリンポスという所で立ち止まる。惑星をあしらった丸い形のチョコレートだ。あたしの父と夫は趣味が似ていて。こういう類の商品が好きであろうことをあたしと母は知っていた。ひとまずは第一候補に定め、お次はゴディバ。CMでよく見るハート型のケースが並べられている。試食をしたがやはり美味い。しかしこれまた高いので、自分用に買うにしてもどうだろう、と迷っていると、母が「親子チョコ」として買ってくれるとのこと。思わず心の中でガッツポーズ。丸い箱に入ったさほど高額ではないものを購入してくれた。そして、夫にはやはり惑星型のチョコレートを買って帰った。

 今でこそ母とは仲の良いあたしだが、結婚前はそうでは無かった。一人っ子のあたしは、母に縛られ、監視され、窮屈な思いをしていた。結婚し、物理的に離れることによって、それから解放され、良い距離を保てている。大人になった母娘が、べったりしすぎるのは、色々と弊害がある(確か、ちょうど今、そんなドラマをやっていたような)。そして、あたしと母は、ちょっとした一泊旅行を計画した。母の放射線治療が終わったら、行くつもり。

四国旅行雑記

 これは、金刀比羅宮道後温泉~龍河洞へ行ったときの雑記である。ちなみにレンタカーを借りて行ったが、運転好きでないとこの行程はお勧めできない。出発場所によってもちろん変わるが、一泊二日で総走行距離は813kmである。

 朝六時起床。休職にかまけてすっかり遅起きが身に着いたあたしには辛い。レンタカーを借りに行く。シルバーのフィット。夫は走りやすいと上機嫌であったが、ペーパードライバーであるあたしはよく分からない。

 今回の予定は全て夫が決めた。あたしはどうもそういうのが苦手で、ここに行くからね、と押し付けられて、おっかなびっくり行ってみる方が好きだ。走行中、アニメの主題歌ばかりが流れる車内にて、今さらながらに行くスポットの情報収集を始める。

 金刀比羅宮――こんぴらさんは、「めっちゃ石段登って行くところ」というイメージしかなかった。実際その通りだったのだが。平日ということもあり、人はまばら。夫は幼い頃、家族とここに来たことがあるらしい。義弟が走って登って熱中症になりかけたとのこと。確かにそれも頷ける。なかなか登りごたえのある石段だった。参拝の後、絵馬を見に行く。「かっこいい彼氏ができますように」等の(本人は切実かもしれないが)アホな願いを見るのが好きだ。しかし、こんぴらさんに限っては、海の神様がいらっしゃるので、海運や造船関係のお偉いさんがやってきた痕跡がいくつもあった。これは中々興味深かった。そして、本当の地獄は下りるときであった。プルプル震えるふくらはぎを動かしながら、恐々と階段を下って行った。昼はこんぴらうどんなるものを食べた。麺がツルツルしていて美味しかった。

 いい運動をした後、旅館へ向かう。部屋は最上階、広くて綺麗。荷ほどきをして多少の休憩を取り、道後温泉本館へ。調べるまで全く知らなかったのだが、ここは入れる湯や部屋のランクが上がるごとに高くなっていくというシステムらしい。夫は迷わず一番高いもの、個室の休憩室が取れるプランにすると言う。まあ、旅行に来てまでケチケチするのも何だし、とそれに同意。風呂自体はとても狭いのだが、その位の方が落ち着くあたしにとっては丁度よかった。人も少なかったしね。そして、休憩室でくつろいだのだが、これが非常に楽しかった。夫と二人、他人の目を気にすることなく、豪快にゴロ寝。風呂に入った後は、やはりこうして寝転びたいものである。また訪れることがあったら、同じプランを選ぶと思う。

 懐石料理を平らげ、夜のハイカラ通りを散策。夏目漱石の「坊ちゃん」ゆかりの地なので、石碑なんかも置いてある。その石碑は、「坊ちゃん」の冒頭の原稿を写して彫られており、漱石の筆跡が見て取れる。「親近感を感じる」と言う夫。字が汚いと言いたいのだろう、失礼な奴である。

 翌朝、旅館の風呂に入り、親や夫の会社への土産物を買う。あたしの会社には当然買わない(三月後半まで休職中)のだが、もし買うならあれだな、可愛がっている後輩には追加であれ、なんてことを考えている辺り、あたしは職場の人間のことが好きらしい。この日の昼食は宇和島鯛めし。生の鯛をご飯の上にのせて食べる。これも美味。

 龍河洞も、夫が行ったことのあるスポットである。あたしは存在すら知らなかった。国の史跡にもなっている鍾乳洞だよ、と言われ、何とも言えないという反応をしてしまったのだが、ここが案外楽しかった。敷かれた鉄板の上を安全に歩くというスタイルだが、かがんだり、水滴に驚いたり、すっかり洞くつ探検気分である。出口までの距離も長く、たっぷりと堪能することができた。

 帰宅して風呂に入り、すぐに洗濯機を回した後、買っておいた道後の地ビールで乾杯。家に帰っても、こういった楽しみがあるから、結婚して良かったと思う。次はどこへ行こうか、九州がいいなあ、なんて話すこともできる。その頃には復職していて、会社に土産を買うことができる旅行でありますように。

日中は外出することをH先生には言われており、ジム、図書館、カラオケ等といった過ごし方ができていたあたしだが、ここ一週間はそれができていない。

まず、夫に起こしてもらわないと朝起きれなくなった。あまりにもあたしが眠そうにしていたときは、起こされないこともある。それで昼になってしまい、愕然とすることもある。夜はきっちり寝たはずなのになぜ、と。

そして、寝てしまった分を挽回しようと、ジムに行こうとするのだが、物干し竿に吊ってある水着を見ただけで断念してしまう。外が寒いから、なんていう甘っちょろい理由もある。

小説を書くのにはまりすぎているせいもあるかもしれない。一気に一万字ほど書いてしまった日もあった。これほど調子がいいと、躁状態を疑うのだが、夫曰く「普通に意思疎通が取れている」ので違うらしい。むしろ、躁だと取れていないのね、なんて苦笑いをしたくなる。

そして、文章が書けるので、鬱ともちょっと違うらしい。鬱のときは、スマホツイッターを読むことくらいはできるが、パソコンに向かう気力はゼロになるので、今のあたしはどちらでもない状態か。

どのみち明日から旅行に行き、その翌々日に診療なので、外出ノルマはすっぱり諦めることにした。家の中でもなんでもいいから、活動することを目指し、ひとまずはこのブログを書いている。

最近は、小説を書くのにはまっている。
お話を書くのは、小学生の頃から好きだった。クラスメイトを動物に仕立てた刑事もの、なんていう、小学生らしい独創性に溢れすぎたものを書いていた。
そして、中学生の頃は、あたしが書いた文章を読んで友人が絵を描く、といったことをやった。お金持ちで美しすぎる令嬢が、ひたすら色んな衣装を着て荒れ狂う話だった。あのルーズリーフはどこに行ったのだろうか、友人が持っているのだろうか。
思えば、高校生の頃は、小説を書くとまでは行かなくとも、プロットを組む真似事まではやっていた。今はやらないが、登場人物の設定画を描いて、妄想を広げていた。その頃生み出した登場人物や設定は、実は今でも登場させることがある。
初めて小説を完結させたのは、大学生の頃だった。小説はどんなに拙くとも、まず完成させるのが大事である。どれだけ面白くても、エタっていては(ずっと未完のままでは)意味がない。いくつもかなぐり捨ててきたボツの山の上に、頼りないが確かに形を持つものを築き上げたのである。そして、一度小説を完結させたということは大いなる自信となり、次回作へと繋がっていく。
今は、最終章のプロットに苦しんでいる。どうにもひらめきが沸いてこない。こんなときは、ジムに行って泳げばいいのだろうか。まだあたしは布団にくるまっている。

職場のオジサン三人と飲みに行った。

一人は飲みに誘っていただいた先輩、一人は定年退職を間近に控えた方、そしてもう一人はあたしが最初に休職したときに直属の上司だった方である。

少し価格帯の高めな居酒屋。目上の方ばっかりだ、メニューを頼むのに遠慮することはない(遠慮すると余計に食え食えと言われる)。ただ、お酒はめっきり飲めなくなったので、乾杯のビール以外はほぼジュースだ。

開始数分こそ、今日は体調大丈夫?旦那さんにあれこれ言われなかった?と心配されたものの、お酒が入ってくると、あたしのことは話題に上らない。職場の愚痴や健康のこと、そして社員旅行のことを話し出す。

社員旅行については、あたしは頭数に入っているらしい。行き先の候補が三つほどあって、何が食べたい、何が見たい、誰の意見を最優先するか、なんていう話になる。最終的には、定年退職の方の希望が採用されそうなのだが、企画するのはここにいないあたしの後輩たち。そろそろプランを立てはじめないとまずいよな、あいつら大丈夫か、と言うオジサンたち。あたしが手伝ってやれればいいのだが、3月まで休職中の身、直接会ってあれこれ言ってやることもできない。

そして、後輩たちの育成方針についての熱い議論が始まる。あたしの下に、三人の後輩男性がいるのだが、彼らの現状について、このままではいかんと先輩が言いだす。話を聞いていると、なるほどそれでは育つものも育たないとは思うのだが、これもあたしの手が入る余地のないこと。なのでその辺りは黙っていたのだが、急に不安になってくる。

上司たちは、今後あたしのことをどう扱うのだろう?復職したら、暖かく出迎えるとは言ってくれている。けれど、その後は、腫れ物のように対応されるのだろうか。今までのように、ビシバシ育てることはせず、もう一度休職されないように、恐々と接せられるのだろうか。そう考えると、急に悲しくなった。

帰って夫に、そんな話をしたら、そんなこと復職前から考えるべきことではないだろ、と正論を頂いた。確かにその通りではある。長い間休んでいたから、仕事の内容は忘れているし、以前のようにはいかないと不安を漏らしたら、それは産休育休を取って戻ってきた女性も同じではないか、と諭される。要するに、どんな人でも長期間休んで戻ってくることはあり得るのだから、それについては会社が当然に対処することである、当人が不安を抱えるのは当たり前だ、ということ。一応、頭の中では納得したものの、気持ちはまだついていかない。

あたしは今度どうしたいのだろう?復職もできていない今は、まるで考えることができない。普通にデスクに座って、定時まで会社に居ること、まずはそこから始めなければならないだろう。しかし夫は、いつまでもそうじゃないよ、時間はかかるかもしれないけれど、以前と似たように働くことはできるよ、と言ってくれた。病気を理解し、病気と付き合いながら、ゆるく働く。そうできる日がきっとくると信じて、あたしは今日も生きていく。

双極性障害と診断されるまで 07

 H先生の診療所は、二駅離れた場所にあった。

 家の近所にも診療所はいくつかあったのだが、当日看てくれるのはそこだけだったのだ。一週間待ちならまだ良い方で、一ヶ月待ち、初診自体お断りの所もあったらしい。

 夫に手を引かれ、フラフラになりながら診療所へと入った。診療所という場所自体は、大学時代に通っていた経験があるので、特段緊張はしなかった。

 普通の内科でもあるように、まずは問診票を書かされた。現在服用している薬や、家族の状況、今の悩みなど。あたしはそれに、「明日から普通に会社へ行きたい」と書いた。その当時の切なる願いであった。

 無料のコーヒーを飲みながら、長い長い待ち時間を過ごした。予約の患者が優先されるので、あたしの順番は最後の方となった。

 診察室に入ると、50代くらいのカジュアルな服装をしたオジサンがそこに居た。あたしは朦朧とする頭をシャンと起こして、H先生に今までのことを話した。大学時代も心療内科に通っていたこと、自傷行為があったこと、ボーダー(境界性人格障害)の疑いがあったということ。

 H先生はしばし考え込んだ後、こう仰った。

「過去にも罹られたことがあるということであれば、我々精神科医は、単なるうつでは無く、別のものを疑います。双極性障害です」

 何じゃそりゃ、というのが、あたしの正直な感想だった。双極性障害なる単語を、あたしは今まで聞いたことが無かった。H先生は極めて丁寧にその病気の説明をしてくださった。

「普通に会社へ行けるようになりたいんですが」

 その願いを打ち明けたが、先生の回答は、当時のあたしが予想だにしていなかったことだった。

「休職しましょう」

 まさか、何故あたしが、という思いだった。そして、休職したくないと抵抗したが、様々な言葉で諭されて、渋々ながら納得した。

 それからは、夫と一緒に本を読んだり、ネットで検索したりして、双極性障害という病についての知識を深めた。この一連の記事は、「診断されるまで」と銘打っているので、この辺りで筆を置こうかと思うが、今後もこのブログでは、双極性障害についての記事を書くつもりだ。

 駆け足でまとめた一連の記事であったが、誰かの、何かの役に立てると幸いである。

 ここまで読んで頂いてありがとうございました。