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sakiblog

双極性障害Ⅱ型。只今絶賛休職中。まずはカテゴリから「双極性障害と診断されるまで」を読まれることをおすすめします。

日中は外出することをH先生には言われており、ジム、図書館、カラオケ等といった過ごし方ができていたあたしだが、ここ一週間はそれができていない。

まず、夫に起こしてもらわないと朝起きれなくなった。あまりにもあたしが眠そうにしていたときは、起こされないこともある。それで昼になってしまい、愕然とすることもある。夜はきっちり寝たはずなのになぜ、と。

そして、寝てしまった分を挽回しようと、ジムに行こうとするのだが、物干し竿に吊ってある水着を見ただけで断念してしまう。外が寒いから、なんていう甘っちょろい理由もある。

小説を書くのにはまりすぎているせいもあるかもしれない。一気に一万字ほど書いてしまった日もあった。これほど調子がいいと、躁状態を疑うのだが、夫曰く「普通に意思疎通が取れている」ので違うらしい。むしろ、躁だと取れていないのね、なんて苦笑いをしたくなる。

そして、文章が書けるので、鬱ともちょっと違うらしい。鬱のときは、スマホツイッターを読むことくらいはできるが、パソコンに向かう気力はゼロになるので、今のあたしはどちらでもない状態か。

どのみち明日から旅行に行き、その翌々日に診療なので、外出ノルマはすっぱり諦めることにした。家の中でもなんでもいいから、活動することを目指し、ひとまずはこのブログを書いている。

最近は、小説を書くのにはまっている。
お話を書くのは、小学生の頃から好きだった。クラスメイトを動物に仕立てた刑事もの、なんていう、小学生らしい独創性に溢れすぎたものを書いていた。
そして、中学生の頃は、あたしが書いた文章を読んで友人が絵を描く、といったことをやった。お金持ちで美しすぎる令嬢が、ひたすら色んな衣装を着て荒れ狂う話だった。あのルーズリーフはどこに行ったのだろうか、友人が持っているのだろうか。
思えば、高校生の頃は、小説を書くとまでは行かなくとも、プロットを組む真似事まではやっていた。今はやらないが、登場人物の設定画を描いて、妄想を広げていた。その頃生み出した登場人物や設定は、実は今でも登場させることがある。
初めて小説を完結させたのは、大学生の頃だった。小説はどんなに拙くとも、まず完成させるのが大事である。どれだけ面白くても、エタっていては(ずっと未完のままでは)意味がない。いくつもかなぐり捨ててきたボツの山の上に、頼りないが確かに形を持つものを築き上げたのである。そして、一度小説を完結させたということは大いなる自信となり、次回作へと繋がっていく。
今は、最終章のプロットに苦しんでいる。どうにもひらめきが沸いてこない。こんなときは、ジムに行って泳げばいいのだろうか。まだあたしは布団にくるまっている。

職場のオジサン三人と飲みに行った。

一人は飲みに誘っていただいた先輩、一人は定年退職を間近に控えた方、そしてもう一人はあたしが最初に休職したときに直属の上司だった方である。

少し価格帯の高めな居酒屋。目上の方ばっかりだ、メニューを頼むのに遠慮することはない(遠慮すると余計に食え食えと言われる)。ただ、お酒はめっきり飲めなくなったので、乾杯のビール以外はほぼジュースだ。

開始数分こそ、今日は体調大丈夫?旦那さんにあれこれ言われなかった?と心配されたものの、お酒が入ってくると、あたしのことは話題に上らない。職場の愚痴や健康のこと、そして社員旅行のことを話し出す。

社員旅行については、あたしは頭数に入っているらしい。行き先の候補が三つほどあって、何が食べたい、何が見たい、誰の意見を最優先するか、なんていう話になる。最終的には、定年退職の方の希望が採用されそうなのだが、企画するのはここにいないあたしの後輩たち。そろそろプランを立てはじめないとまずいよな、あいつら大丈夫か、と言うオジサンたち。あたしが手伝ってやれればいいのだが、3月まで休職中の身、直接会ってあれこれ言ってやることもできない。

そして、後輩たちの育成方針についての熱い議論が始まる。あたしの下に、三人の後輩男性がいるのだが、彼らの現状について、このままではいかんと先輩が言いだす。話を聞いていると、なるほどそれでは育つものも育たないとは思うのだが、これもあたしの手が入る余地のないこと。なのでその辺りは黙っていたのだが、急に不安になってくる。

上司たちは、今後あたしのことをどう扱うのだろう?復職したら、暖かく出迎えるとは言ってくれている。けれど、その後は、腫れ物のように対応されるのだろうか。今までのように、ビシバシ育てることはせず、もう一度休職されないように、恐々と接せられるのだろうか。そう考えると、急に悲しくなった。

帰って夫に、そんな話をしたら、そんなこと復職前から考えるべきことではないだろ、と正論を頂いた。確かにその通りではある。長い間休んでいたから、仕事の内容は忘れているし、以前のようにはいかないと不安を漏らしたら、それは産休育休を取って戻ってきた女性も同じではないか、と諭される。要するに、どんな人でも長期間休んで戻ってくることはあり得るのだから、それについては会社が当然に対処することである、当人が不安を抱えるのは当たり前だ、ということ。一応、頭の中では納得したものの、気持ちはまだついていかない。

あたしは今度どうしたいのだろう?復職もできていない今は、まるで考えることができない。普通にデスクに座って、定時まで会社に居ること、まずはそこから始めなければならないだろう。しかし夫は、いつまでもそうじゃないよ、時間はかかるかもしれないけれど、以前と似たように働くことはできるよ、と言ってくれた。病気を理解し、病気と付き合いながら、ゆるく働く。そうできる日がきっとくると信じて、あたしは今日も生きていく。

双極性障害と診断されるまで 07

双極性障害と診断されるまで

 H先生の診療所は、二駅離れた場所にあった。

 家の近所にも診療所はいくつかあったのだが、当日看てくれるのはそこだけだったのだ。一週間待ちならまだ良い方で、一ヶ月待ち、初診自体お断りの所もあったらしい。

 夫に手を引かれ、フラフラになりながら診療所へと入った。診療所という場所自体は、大学時代に通っていた経験があるので、特段緊張はしなかった。

 普通の内科でもあるように、まずは問診票を書かされた。現在服用している薬や、家族の状況、今の悩みなど。あたしはそれに、「明日から普通に会社へ行きたい」と書いた。その当時の切なる願いであった。

 無料のコーヒーを飲みながら、長い長い待ち時間を過ごした。予約の患者が優先されるので、あたしの順番は最後の方となった。

 診察室に入ると、50代くらいのカジュアルな服装をしたオジサンがそこに居た。あたしは朦朧とする頭をシャンと起こして、H先生に今までのことを話した。大学時代も心療内科に通っていたこと、自傷行為があったこと、ボーダー(境界性人格障害)の疑いがあったということ。

 H先生はしばし考え込んだ後、こう仰った。

「過去にも罹られたことがあるということであれば、我々精神科医は、単なるうつでは無く、別のものを疑います。双極性障害です」

 何じゃそりゃ、というのが、あたしの正直な感想だった。双極性障害なる単語を、あたしは今まで聞いたことが無かった。H先生は極めて丁寧にその病気の説明をしてくださった。

「普通に会社へ行けるようになりたいんですが」

 その願いを打ち明けたが、先生の回答は、当時のあたしが予想だにしていなかったことだった。

「休職しましょう」

 まさか、何故あたしが、という思いだった。そして、休職したくないと抵抗したが、様々な言葉で諭されて、渋々ながら納得した。

 それからは、夫と一緒に本を読んだり、ネットで検索したりして、双極性障害という病についての知識を深めた。この一連の記事は、「診断されるまで」と銘打っているので、この辺りで筆を置こうかと思うが、今後もこのブログでは、双極性障害についての記事を書くつもりだ。

 駆け足でまとめた一連の記事であったが、誰かの、何かの役に立てると幸いである。

 ここまで読んで頂いてありがとうございました。

診療待ちである。いつも予約の時間より一時間は遅れる。どうせ休職中の身であるから、時間は惜しくない。今日は何を話そうか、ゆっくり考えるための時間だと思っている。
本を読みながら時間を潰すという手もあるが、最近は活字があまり頭に入ってこない。他の方のブログを読むくらいである。大学生の頃は、あんなにSF小説を買い漁っていたのに、と考える。それらは本棚を未だ占領し続け、もう一度読まれるのを待っているかのようだが、それが叶うのはずいぶん先の話になるだろう。
そういえば、文学部の学生は、そろそろ卒論を書き始めた頃ではなかろうか。あたしはテーマが二転三転し、教授には少し迷惑をかけた。見切り発進で書き始めた卒論は、それはそれは酷いもので、捨ててはいないけれど、二度と読み返したくない。文法や構成なんかは最低限何とかなったが、ウイスキーを飲みながらハイテンションでキーボードを打ってできた代物である。我ながらうんざり。
このブログの文章も、過去に遡れば遡るほど、稚拙で感情的なので恥ずかしい。だが一方で、こういった文章はもう書けないのだなという寂しさもある。あたしがいつまでこのブログを続けるかは分からないけれど、しばらくはこんなスタイルで書き続けるのだろう。

双極性障害と診断されるまで 06

双極性障害と診断されるまで

 初めての正社員。仕事は、天職だと思った。

 私が初めに配属されたのは、接客と事務処理を行う部署だった。アルバイトで鍛えた応対力で、失敗はたまにあるものの、おおむね上手くこなせていた。後輩ができた頃は、電話応対なら水山を見習え、とまで言われたほどだった。

 そして、外回りも行うようになった。その時指導役として付いてくれた女性の先輩は、厳しくも優しかった。さっさと仕事を終わらせ、空いた時間にカフェでお喋りをするのが楽しかった。先輩は、仕事だけでなく、この会社での渡り方も教えてくれた。育児休暇が整っている会社なので、子供が欲しいなら早くした方がいいよ、とのアドバイスも頂いた。

 私生活も充実していた。夫と結婚することになり、顔合わせや新居探し、結婚式といった幸せなイベントを積み重ねていった。夫の両親とも折り合いは良く、特に義母からは本当の娘のように扱われていた。

 仕事も結婚も順風満帆。次は子供かな、なんて、幸せな将来の生活ばかり描いていた。実際にそうなるものだと信じて疑わなかった。

 ところが、就職して三年半が過ぎた頃。仕事でのミスが多くなっていった。指導役の先輩は転勤し、後輩はどんどん増えて行った。もう新人とは呼べない段階に入っており、簡単な失敗なんて許されなかった。何より、自分自身がそれを許さなかった。

 うちの会社の繁忙期は二月から三月だ。残業こそあまりないものの、嵐のように仕事が舞い込んでくる。後輩たちの面倒も見なくてはいけない。ただただ、黙々と、働いた。不調は感じていた。それを隠すため、異常に明るく振る舞っていた。

 繁忙期が過ぎ、あたしはふと、立ち止まった。理由のない感情。消えたいと思う感情。道路を歩けば車に轢かれたいと思い、電車を待っていれば飛び込みたいと思う。これはおかしい、またあいつがやってきた、と判っていた。しかし、目を背けたのは、会社に迷惑をかけたくないという一心だった。今なら、休むことが結局は会社にとっていいのだと分かるけれど、当時は休んではならないという強迫観念に捕らわれていた。

 そしてとうとう、身体が動かなくなった。

 一日目、二日目辺りは自分から連絡をして、休むと言えたのだが、三日目くらいからそれもできなくなり、夫に電話をしてもらっていた。それで上司たちが心配して、家に来てくれた。どうやら夫に監禁されている可能性があるかと思われたらしい(今となっては笑いごとである)。近所のカフェへ行き、休んでしまったことを詫び、明日からは出勤すると答えたが、やはりそれはできなかった。それを見越していた夫は、診療所の予約を取っていた。そうして、H先生の診療を受けたのである。

初めて美容を気にするようになったのは、中学生くらいの時か。100均のマスカラやグロスを少ない小遣いを握りしめて買い、誕生日には脱毛器を買って貰った。眉毛も抜き出したのだが、やりすぎて今になっても生えてこない。自眉では大変みすぼらしいのだが、鬱の時はそのまま外出してしまう。外に出ることに全力を尽くすので、そんなの気にしている状態ではないのだ。
最近はかなり落ち着いてきたので、眉毛はもちろんアイラインも適度に描いている。リップも欠かせない。但し、デパコスなのはリップだけで、あとは薬局のプチプラばかりだ。どうも私の肌は安物の方が合うらしい。化粧水も散々色んなものを試したが、結局ビオレに落ち着いている。なので、アラサーにしては化粧品代がやけに安い。下手すると、夫の方が金かかってるかもしれない。
ともあれ、美容を気にすることができるまで回復できたのは本当に良かった。昨日、手続きの関係で出社したのだが、偉い人からは以前より若々しくなったと言って貰えた。ただ、体型はまだ戻っていない。増えるのは一瞬なのに、ほんの一キロ落とすだけでもかなり時間がかかる。復職時には、きちんとスーツが入るようになっていたいものだ。